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2024/04/04

特集・飴屋法水 東京グランギニョル 雑誌記事・JUNEエッセイ


🍬飴屋法水・雑誌エッセイJUNE 🍬
  ★Tokyo Grand Guignol★       
  これらは当時発売された雑誌などに掲載された記事です。最初の記事は、飴屋法水氏と何度か
 インタビューをした記者による文章です。その後の記事は、JUNEという雑誌に飴屋法水氏が連載
 していたエッセイです。JUNEは美少年や美青年たちの純粋なゲイを特集した雑誌だった為、美しい
 美青年の役者が揃ったグランギニョルは、JUNEのテーマに当てはまる素材だったと思われます。


  東京グランギニョル 増殖する“少年Ameya
 (1986 WAVE Metafiction)    記者が語る飴屋法水Ameya Notimizu 
 

  15歳の春は決して終わることはない。この都会に漆黒の闇を呼べば。
最期の少年期があとわずかで消費され尽くされる時に、A(飴屋法水)は1人呟いた。
少年が特権的な階級であったことを心底、口惜しく思い出すようになったの
は、もう20歳を超えた頃だった。Aは思う。何故あんな呟き1つで、少年
期を終わらせてしまったのだろうか。少年の残像の中で自分だけは永遠に歳
をとらない、少年でいられるということを信じていたのかもしれない。
呟いてみたが、それは単なる強がりなポーズのつもりであったのに……。
だからそれは、少年を延命するAなりの儀式のつもりであったのだろう。
しかしやはりあの呟きは、まさにAの少年期の終幕を位置づけていた。
それが、今では、鮮やかに意識化できる。
   ならば精神の安易さの為に、モラトリアムの状態にしてあった、殺意とか
残酷はどう昇華すれば良いのだろうか。Aは、終焉してしまった自らの少年期
に逆上する。

 少年が、時代のテーマである。少年がそこかしこに氾濫している。しかし良
く語られることを望まなかった少年達である。Aは、ネガティブな少年である。
 カリスマ性を帯びるスターはどこか必ず少年的である。近ごろは、少女の
スターですら少年的である。Aは、世に聡い人間が装う少年ではなく、決して
背が高くならないような悪意を持って少年にとどまっている少年である。

Aは、端正な顔をしている。しかし自分の顔が1番美しく見える角度を知らない。
美しさによって、老人を誘うような純粋さを持ち合わせてはいない。どんなに
醜く見せても、少年である輝きが少しも失われることがないことを自信を持って
知っている。だからA氾濫、最も少年らしい残酷さを顕わにする。

  少年時代けられたわりをらぬ復讐劇は––––。

 東京グランギニョルの演劇には、少年がたくさん出てくる。少年しか出てこない
と言ってもいいくらいだ。成熟した女は、豚のように扱われ、鉄のペニスを差し込
まれる。そして「ライチ」の物語から突如として消去されまったく登場しなくなる。
犯され軽蔑される為にだけ物語に挿入された女。Aの物語に許されるのは、たった
1人の少女。「ライチ」では、越美晴が粉するマリンと呼ばれる少女。
越美晴–––「ボーイ・ソプラノ」というLPを最近リリースした最も少年らしい少女。
おそらく越美晴は、自分のことを僕と言う少女に違いない。Aの世界は敢えて未熟
である。
 Aは、老人のような意地悪な目つきをする。押し殺したような声で、ケケケケと
笑っている。少年達の秘密結社。Aは、決して秘密結社を主宰しようとはしない。
結社を主宰する少年に一目置かれる外部の存在。そのくせ結社に影響力がある。
どこの学校にもそんな切れ味の良い少年が1人はいたはずだ。決して20歳を越えられない少年が。Aは、あらゆる人間の少年期に復讐しようとしている。
 Aは、J劇団で音響をやっていた。歌謡曲ばかりが使われた。その時にはあまり気にしていなかった。タップ・ダンサーが出る芝居が上演されることになり、タップ・ダンスを練習することになった。地下室で練習していた時にAはふと少年期を思い出す。
こうやって地下室で、足をどんどんどんと踏み鳴らすのが僕達のダンスだったんだ。
記憶が甦った少年は、再び劇団に戻ることはなかった。PILのドラムに合わせて少年たちが、足を踏み鳴らす「マーキュロ」のオープニング・シーンはこうしてできあがった。
 東京グランギニョルの第1回公演「マーキュロ」は、劇画家・丸尾末広の作品のイメージを舞台化したかったから……歌謡曲じゃなく僕達の好きな曲で舞台を作りたかったから……Aはそんなことを呟いた。分かったような気になって、劇団を舞台化するアナーキーでロマンティックな東京グランギニョルなどと書く。しばらくしてAに会うとちょっと眩しそうな顔で「僕、そんなこと言ってないよ。丸尾末広の劇画に舞台が似てない」って言われて迷惑しているんだ。」などと言う。

  好きなイメージ、好きな音……。
       それがやれなければ 舞台はできない。

Aと一緒に食事をしたことがある。おこげ御飯。カラカラに焼かれた御飯に汁をかけるとジューという音を立てて食卓いっぱいに蒸気が舞い上がる。Aは無関心そうにながめていた。
 「ガラチア」という2回目の公演では、舞台におこげ御飯が登場した。熱くしたコークスに水をかけたようだが、なかなか感じがでていた。素直じゃないな。
 今回は「ライチ」。まさかおこげ御飯を食べた後に出た、デザートのライチじゃないんだろうな? そうだよ。Aは、いたずらっぽく笑う。ライチをエネルギーにする人造人間ライチ(嶋田久作)。少女に恋をして意識を獲得する。「ライチ」はどうも梅図かずおの「私は慎吾」を下書きにしているようだ。少女の名前はマリンだし……。
 東京グランギニョルの芝居を作っていく興味は、どうも社会などというものからはるかにかけはなれている。デザートのライチだったり、漫画だったり、ミュージシャンのイメージだったり。彼らも、大きな意味でメタの時代に生きる演劇であると言えよう。

役者の質も変化している。それは見える側の変化でもあるが、演技を見るより生地に近いキャラクターを見るようになっている。キャラクターということにかけては、東京グランギニョルの嶋田久作が断突である。人工骨を埋め込んだような顎、しゃべりながらよだれが垂れてしまう体質、狂ったような踊り。演技を超えたキャラクターは一見の価値がある。
 東京グランギニョルは、公演が終了する度に役者が離散する。バンド活動をする者や、学校に戻る者……。再び戻ってくる者も少しはいるが、ほとんど新しいメンバーで次回の演劇を上演する。これも時代的だ。彼らには、行為する価値はあっても評価される意味はないのだ。

著者の名前は見当たりませんでした。



📕以下、飴屋法水本人によるエッセイ📗
    


 ✨🌹美少年雑誌 JUNE🌹✨    
      に掲載された飴屋法水氏のエッセイ。
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子供の頃のお東京グランギニョル主宰飴屋法水
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      1986                    
 5月1日、晴れ。武井くんに車の運転をしてもらい、引っ越しをした。猫と2人暮らしには
充分の広さ。うれしい。が、おかげで本日〆切のJUNEの原稿を書いてない。引越し前に書くつもりだったけど、きのうはグランギニョルの石川君(ニコ)のバンド“DAYS“のライブ、おとといは美晴ちゃんと2人で坂本龍一のライブ……と遊んでばかりいた。明日書こーっと、そうそう“DAYS”に今度入ったドラムの佐々木君は、なかなかSexyな美青年だし、ヤマジ君も鋭いギターを弾くので、読者の皆さんもライブに行ってみて下さいませ。
 5月2日、曇り、のち時々(残念ながら放射能のまじってない”雨。先月号の読者からのおたよりにはビックリした。よく「野ばら」のビデオを見つけましたね。地方にも、あんなにグランギニョルに興味を持って下さる方がいるのだなあ。地方公演もしようかなあ……。
それからビデオにグランギニョルの役者2人が出てると書いてありましたが、あれは僕と美晴ちゃんですぜ。13才ぐらいに見えたってのは言い過ぎじゃない?

 さて、今回は子供の頃のお話を、という注文でしたね。ウーン、子供の頃ねェ………。
 生まれたばかりの飴屋クンは神奈川県の小田原という所に来ました。小田原は海からすぐ山になっていて、酒匂川という大きな川もある。そこで野生児のように遊んでましたね。そうでない時には部屋で絵本を読んでました。あんまり近所の子と野球とかはしませんでしたね。だいたい昔からチビだったせいで、近所の子には、「人間の上下関係は身長で決まる。」とか言われて、年下の子にもコキ使われたりしてイヤでした。それで1人で虫を取ったり、川で泳いだり、ガケ登りをしたり、防空ゴウを探検したり……とまあ、そんなとこですね。防空ゴウの奥に犬の白骨を見つけた時は、学校の先生の教卓の引き出しの中に入れちゃって、オコられたなあ。ブルブル。
 おこられたといえば、僕の月並な初恋は学校の女教師でしたが、ある日その方が、美術室で牛の頭ガイ骨のデッサンをしてたのね。よく絵を書く人ってそういうことするでしょ。で、性欲だけは異常に発達していたマセガキの飴屋小僧は、お姫様に気に入られてキッスの1つもいただこうと、ト殺場に行って死にたての牛の頭をビニールにくるんでもらって来てプレゼントしたわけ。いやあ、その時もおこられたなあ。おこられたというよりキラわれたのかな。以来、女教師と名のつくものを見るたび、股間に鉄のペニスをつっこんで犯してるのさ〜。
 虫以外で好きだったのは両棲ハ中類。つまりカエルとかヘビのたぐいです。すごく好きだったんだけど、こいつらはイジめたね。ヘビは見つけるたびにたたき殺したし、カエルは皮をはいだり、熱湯の中を泳がしたり。カメはあの甲らが、なんかズルイ感じがして、シンナーを甲らにぬって火をつけて歩かせてやった。熱がって甲らから出てくりゃよかったのにな。あと、金魚バチに金魚ちゃんを入れたまま100Vの電流流して水の電気分解やったりもしたなあ。
 そうやってイジメてばかりいたのに、小学校の卒業アルバムには、「将来、僕は有能な生物学者になるであろう。」なんてヌケヌケと書いてある。でも本当になりたかったんだもん。それがどうして今、お芝居なんかしてるのか? それは僕にもわかりません。ブンブン。以上、なつかしくもなんともない、子供の頃のお話でした。

    



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 わたくしごと 東京グランギニョル主宰 飴屋法水
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      1986                    
 突然だが、ネコが死んだ。4月まで飼っていて、今の笹塚の部屋に引っ越す際、ペットは
飼えないと言われて、東京GGの作家であるタガネ君に飼ってもらうことにしたネコだ。
 死というものは不思議なものだった。もちろん死と言っても、この場合、残された者にとっての死だ。どこかの詩人が言った通り、「死ぬのはいつも他人ばかり…」なのだ。
 目の前で、動かずにいるということと、息もせず、体温もなく、しかし、体はついさっきまでの重さを持って、そこにあるのだ。「ああ…これが死ぬということなのかなあ‥」とボンヤリと思った。とてもつかみどころのないものであった。胸に抱いていると、ただ眠っているだけのように思える。しかし腕の中で、体は確実に腐り始め、虫がわき始めてくる。
 「お線香にこんなに強い香りがあるのは、腐臭をかくすためだったんだなあ…」
などと悲しい発見もした。
 気温が高く、仕方がないのでドライアイスをいっぱい買って来て箱につめたが、今度は体がカチンカチンになってしまいよけいに悲しくなってしまった。そういえば、映画「禁じられた遊び」の中で少女が抱いていた子犬の死体も、やはり足がまっすぐのびたままコチコチになっていたのを思い出す。あの映画のあの場面は恐ろしい。少女が死んだ動物たちのために、人間の墓をあらして十字架をかき集めてお墓をつくる。あの映画がもともと持っているのかもしれない「反戦」などというヒューマニズムをはるかに超えて、わがままな欲望が腐臭をあげ、めまいをおこさせる。
 ………しかし現実のネコの死は、ボクにとって悲しいだけで、客観視するだけのよゆうもなく、ボクのエネルギーを消耗させた。何かが死んで、何故人が悲しむのかわからないが、泣いたり、死んだもののことを思ったり、おそうしきを出したり、そうやってエネルギーを使いはたすことで、この世から無くなってしまったものとのバランスをとっているのだろうか……。
 結局いつまでも抱いていても仕方ないし、芝居のケイコもストップしてしまったので、3日目にタガネ君とお寺に行き焼いてもらって来た。今では骨つぼの中でカラカラ音をたてる、まっ白な骨になってしまった。骨になったら、思っていたよりずっと小さくて軽かった。
 最近アカデミックな科学のクローズアップがなされ、そのことが、いきづまった芸術を活性化させる力となったりしているようだ。たしかに科学を知ることで、ボクらの頭の中から、単純な有機物と無機物の二元論の垣根は取り払われたように思えた。しかし、生きていたものが死ぬということ、動いていたものが動かなくなるということ、人間はやはりこんなに単純で大ざっぱな二元論の前で、いつまでも右往左往しつづけるのだろう。

                                   

          

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  エッセイ超レトロ? 飴屋法水 AMEYA NORIMIZU
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      1987                     
 
昨日はほとんど『バリカーデ』に費やしてしまいました。今年はどうなるのでしょう?……まあ……何とかなるでしょう……こればっかりの人生ですね。

 嶋田久作氏は、皆様ごぞんじのような活躍ぶりで、プロモーションに追われる日々のようです。斉藤そうすけ君も、今年は映画に出演、6月頃には公開の模様で (タイトル忘れた) 
それも楽しみです。

さて、嶋田氏の顔がプリントされた「公開記念ティッシュ」も出まわっているという(これは笑った)『帝都物語』ですが、おそらくこの号が出る頃にはそろそろ公開が始まるでしょう。
 嶋田氏のファンには楽しいと思いますし、ヤクザの情婦がどうしたの、不良の青春はどうの、動物がどうしたのというグチャグチャした映画ばっかりの日本映画の中での、志(こころざし)は評価できると思います。アニメ以外でああいうものは、なかなかできませんでしたからね。あ、それから、レトロファン、特に大正レトロな方にはたまらない美術セットなんじゃないでしょうか。

しかし、私のレトロ感覚は、もっとはるかかなたの地球の始まりの頃へと行ってしまってまして……マグマが冷えかたまり、海ができ、細胞がざわめき、やがて太古の生物が誕生した頃の地球……しいて、ふりかえる価値のあるものは、人間の造りあげた文化の中により、その頃にあるような気がしてなりません。
 これはもう、超レトロというか……はたしてそれがノスタルジーなのかどうかさえ、自分にはよくわかりません。
 ただ、別に文明批判してるわけではございません。文明はみにくい、自然にかえれ!なんて言う気もございません。文明はみにくい、だからどうした?

 昨年、ずいぶん話題になった『危険な話』のチェルノブイリ批判の方法論は、はっきり言って大嫌いです。中途ハンパな人間中心主義には鳥ハダが立ちます。
 人間は原始時代にかえるのか? それはできない。できない以上、あらゆる危険とキョウフを引き受けて、とことんテクノロジーをおしすすめ、いくとこまでいくしかないでしょう。
 そのとき、「そんなことしてたら、我々は死ぬんですよ!」とヒステリックにまくしたてられたら、「そりゃ、そうだろ!」としか……やっぱり答えようがないですねぇ。

昨日、シド・ミードの手がけた近未来ディスコ、トゥーリアの照明が落ちて人が死に、TVでガヤガヤ言ってます。そういえば、日航機が墜落して、少女1人が生き残った時、僕らは『ライチ光クラブ』を創りました。今年は……何をするんでしょう?

テクノロジーによって生まれたTVゲームで、アルカイックな原始イメージをもてあそぶ、僕をふくめたガキども。
 ああ……グロですねェ。
         



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“バリカーデ”直前‼︎   飴屋法水  常川君と今泉君と浜里君と田口君と
            元・東京グランギニョル主宰   土方君と斎藤君と石川君と伊藤君
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      1987                      

 いよいよ公演がおしせまってしまった。実は、現在、初日の3日前の夜中である。正直いって眠い。疲れた。多少の文章の乱れは、カンベンしていただきたい。
 さて、役者紹介も、今回で最後。で、まず、常川君から、始めたい。
 常川君は、“ライチ”のあのゼラ役であり、今回の“バリカーデ”でも重要な役回りを演じていただいている。それはまあ、見てのお楽しみとして、いや、実に彼には世話になっているのだ。僕や三上は、もともと、いーかげんな人なので、実は、こんなに多数の人々をまとめて引っぱっていくよーな性格ではないのだが、その辺の弱点を、彼は、黙って、気もちよくフォローしてくれる。僕らのやることを、いつも、おもしろいといってくれて、気が向けば付き合ってくれるのである。そして、芝居が終れば、「じゃあね」といって、彼は自分でパフォーマンスしたりするのである。今回の芝居も彼なしではできなかったところが多い。
 しかし、彼とも、もう5年くらいのつきあいになるけど、いやあ、最近は、お互い心が広くなったもんだと、私は、疲れているせいで、何をいっているのだろう。
 それ以外に今回の “バリカーデ” に出演してくれているのは、知る人ぞ知る戸川一平こと今泉浩一くん
 かれは……とにかく……ヘンの一言。“ワルプル“のあの中国人の助手をやってた人と言えば、どんなにヘンか、お分かりいただけるでしょう。
 でも、素顔は、ナイーブでキチョウメンで頭のいい子、なんだぜ。
 古くからのつきあいの浜里くん
 彼は、まだ高校生の頃。“マーキュロ”のお客さんんとして知り合って、“ライチ”のリンチされる少年でデビューした。いつも、大人ぶって、「ナールホドネェ……」などと言ってるが、そのくせ、まじめにがんばってくれちゃう、イイコデス。
 それから田口君
彼は“ワルプル”からのつきあい。役者としてもいい味出てるし、衣装は、すべて、彼のデザインによるのだ‼︎
 それから土方くん
 彼は“ライチ”の時には、舞台の回転板の下にもぐって、嶋田君と美晴さんをぐるぐるまわしていたのだが、“バリカーデ”では、メキメキと頭角を現わし始めている。
 それから斉藤君
 彼は今回からのつきあいなのだが、一目で気に入って大抜擢してしまった。僕と同い年でイイヤツだが、すぐ腕の血管を浮きあがらせて「スキャナーズ」ごっこするのはやめてほしい。
 それから石川健くん
 彼はバンドのボーカルで、まだすごく若いインディーズ野郎(ボーイ)だが、日本的な目つきに、なかなかのものがある。
 そして最後が、新人の伊藤雄春君
 彼は、はっきり言って伊藤麻衣子である。

さて、今回は大勢で散漫な紹介になってしまったが、もし、この文章をよんでから、お芝居を見ていただけると、よりおもしろ味もますでしょう……。
 芝居のほうは、とにかく、ケイコ大詰め。
 毎度のことで、フタを開けてみなくちゃわからない。
 今回は、すごく地味にかたくせまってみたのだが、どうなりますやら……。
 うまくいくと、イイナァ~~~~~!




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 もっと良く、ギーガーを視るべきだ。全体を、細部を、くり返し。
           元・東京グランギニョル主宰 飴屋法水 
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       198?       

 ギーガーが来日した。いよいよだなという感じである。数年前、友人との間でまわしよみしていた『ネクロノミコン』も、日本版となって店頭につまれ、売れまくっているようだ。こういう成り行きを「何かさびしい」と言う気はぜんぜんんない。あのようにスバラシイものは、多くの人に視られるべきだ。
 世の中には、マイナー志向とでも呼ぶべき人がいぜん多くいて、愛すべき対象を理解できるのは「わたしだけ」と思いこみたいらしく、それが売れちゃって、みんなに愛されたりすると、急に熱が冷めたりするらしい。そういう人の口ぐせ「ギーガーも一般的になったなあ」「けっきょくギーガーもとり込まれちゃったのよね。」あげくのはてに、「いまさらギーガーでもないでしょ」このようなファンの心情というものはよくわかるけど、そんな同好会のような心情はすてた方がいい。「わたしだけのギーガー」が、せっかくのギーガーを、「マイナーであることによって、力を持つ」だけのものにおとしめてしまう。
 いまさらギーガーでもないでしょ……と片づける前に、もっとよく、ギーガーを視るべきだ。全体を、細部を、くり返し。
 どんなに売れようが、それが、かんたんに「愛せる」「理解できる」シロモノではないことに気づくだろう。
 このようにしてより多くの人が、ギーガーのまえで立ちあぐねてしまうことを期待する。
「わたしだけのギーガー」は、そこから先に勝手に発生していくものだ。
 ボクは現在、三上晴子と共に廃工場を1つ借り入れ、そこに毎日こもって、金属をたたいたり、まげたり、溶接したりしている。ギニョルの頃から抱えこんでいる「金属」をモチーフとすると、このようにして金属と向い合う時間が、どうしても必要となってくる。「ボクだけのギーガー」なんてものがあるとすれば、それは、このような作業の中で、初めて顔をのぞかせる。
 それらは、秋頃、演劇という形で、みなさまの前に現れるかもしれないし、誰にも見せずにコワしてしまうかもしれない。 
 いずれにせよ「デッドテックはもう古い」とか、「あ、廃墟感覚ね。わかった、わかった」という発言の目立つ今日この頃、ロクに向き合いもしないで、次から次へ乗りかえていく世間のやり方に賛同しかねる僕は、これから半年間、この工場にこもるつもりでいる。
 話はかわるが、昨年の5月頃から、事務所のイタズラ電話が絶えない。おかげで電話が大嫌いになってしまった。
 その上、最初それが、ギニョルの客 (あるいはもと客) からのものだとわかってショックである。
 出てみるといつも無言で、男か女かわからないのだが、最近ちらっと『マーキュロ』の中で使った「ノスフェラトゥ」の音楽が流れたようなのだ。ヒドイ時は、1日に何十回もあり、深夜まで続く。
 こういうことに慣れてしまいたくないし、有名税などと割り切る神経ももち合わせていない。
 ギニョルを創ったことの結果が、こんな風な形で現れてくると、もう、人になんか観せるのはイヤになってくる。本当にやめてほしい。
 そんなわけで、最近は、ベルがなってもほとんど電話に出ない。
 何かの問い合わせで電話をくれても、通じないと思うのですが、カンベンして下さい。

 
    


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         持続というのは 僕にとっては
      嘘であり なのです 飴屋法水
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         1988                      
 突然ですが、東京グランギニョルは解散しました。驚かれた方も多いでしょうが、僕はあまり驚いていません。最初から、「この集団は長くは続かないかな」いや、「続けることは考えないで始めてみようかな」と思っていたからです。もっと言ってしまえば、持続というのは僕にとっては嘘であり、悪なのです。
 もちろん、もともと飽きっぽい性格で、物事を持続することに向いていないのかもしれませんし、集団の主宰者としての才能が欠けているとも言えるでしょう。しかし、それ以上に、集団が純粋なかたちで持続するなんてことは不可能なのです。企業のように金銭的な利益で強力に結びついている場合や、ナチスのようなファシズムでなら別ですが………。
 ですから、はっきり言って世の中の10年以上も続いているバンドとか劇団は、金のつながりかファシズムと思っていいでしょう。つまり劇団を例にとってみれば、たいていメンバーチェンジをくり返しているにもかかわらず、主宰者がいる限り続いていきます。
 だからどこのポスターを見たって、作・演出というふうにして主宰者の名前ばかりがでかでかと掲げられているというわけです。そして、そいつだけが文化人になって何とか食べていき、役者はTVに出かせぎするか、アルバイト……というのが現状です。スタッフにいたっては、もう、どんどん入れかわっていく若い連中をこき使うか、外部のひとに金を払って頼むか……という有様です。逆に言えば、こんな現状だからこそ、評論家の劇評も、主宰者ばかりに集中するのかもしれません。
 こんなところに、真の共同作業が成立するわけはありません。もちろん、例外的にこれをまぬがれている、劇団員がたった7人しかいない「青い鳥」とか、作家も演出家も不在で4、5年に1本しか芝居をつくらない「第7病棟」なんて人々もいることは、います。
 グランギニョルも様々なくふうをしてきました。つまり、日頃様々な活動をしている人たちが、それぞれの個性を持ちより、台本も、演出も、音響も、舞台美術も、衣装も、照明も、全てが、等価でぶつかり合うような場になれば……と思ったわけです。気がついた人もいるでしょうが、「ライチ」の再演以来、ポスターから飴屋の名前をはずしたのも、そのへんを考えてのことなのです。
 しかし、芝居を1本つくるのにはあまりにも金と時間がかかりすぎ、逆に、あまりにも、見る人の人数が限られ、金にならないのです。そのために、あらゆるバランスがくずれてしまいました。そこで、とりあえず今の集団はつぶしてしまおうと思ったわけです。
 今年からは、また別のかたちで新しい集団をつくり、活動を始めようと思っています。
おそらく、芝居をつくるペースは、前より、ゆっくりになるでしょう。芝居以外の活動にも、より理想に近い共同作業ができる集団でありたいと思っています。
 もちろん、口で言うほどキレイにいかないということは、イヤというほどわかっていますけど……。まあ、これからもがんばりますので応援してくださいませ。このエッセイを続けるかどうかは、まあ、編集者の佐川さんと相談してみます。じゃあね。







        Thank you visit Tokyo GG !













2022/12/14

(Temporary Backup) ライチ光クラブとライチ☆光クラブ

 
                     下の方にコメント欄があります。ご意見、ご感想、コメントお願いします。


1985年12月22日 東京グランギニョル公演、ライチ光クラブ当日
下北沢駅から少し離れた場所に東演パラータはあった。
東演パラータにはロビーやチケット売り場はない。
狭い道にはオシャレな女子や男子が溢れていて、陽気に笑ったりお喋りをしている。
劇場の前に細長いテーブルを設置し、2〜3人の女子のスタッフがノートに書かれた
予約客の名前をチェックしたり、お金を受け取りチケットを渡している。
他にも数人メーキャップを終えた学ラン姿の役者も一緒に外へ出て客の整理や誘導を
して一生懸命働いていた。

観劇する前にトイレに行こうと、眼帯をした怖そうな学ランのお兄さんに
「トイレはどこですかー?」と陽気に聞いた。
完全に役になりきっている彼は「どうぞこちらへ」と狭いギシギシした木の階段を軽々と
登りきり、トイレを指し示して、無言のまま紳士的な態度で深々とお辞儀をした。




私はこれからどんな事が始まるのか知らず、喜び勇んで最前列の席に座りこんだ。
知らぬが仏とはこの事だ。
(確か座席は椅子ではなく段差に薄い座布団が敷いてあったような気がする)
おかげで前半はビビリまくって心の中で悶絶していた。

一番前の席とは、30センチも手を伸ばせば舞台に届く位置で、舞台の高さが目の前にある。
造花、ライチジュース、色々な破片、ホコリ、役者さんの唾液 (特に嶋田久作さんの)、
ガラスの破片、血のりなど、色々な物が顔や体に飛んで来た。そのうち役者さんも落ちて来る
のではと常時覚悟をしていた。

観劇中、目の前にコロコロとライチが転がって来たので、つい手を伸ばして拾おうとした時、
木製の椅子がダンッと置かれて役者が座った。
危ないところで手を引っ込めたが、指が砕ける所だった。ラッキー危機一髪。

グランギニョルの舞台には独特の匂いが劇場中に充満している。
血のりと木の匂い、また何か別のものの匂いが混ざり合っているのかも知れないが
その匂いは,心地の良いグランギニョルだけの独特の匂いだ。
グランギニョルの公演のたびに入り口からその匂いが漂って来るので、
観劇する以前から陶酔してしまうのだ。
今も時々あの匂いを無性に嗅ぎたくなるが、グランギニョル解散後、再び出会った事はない。

恐怖が快感と陶酔に変わった。
自分が劇中にのめり込み演劇とはとは思えなくなった。
越美晴の少女のような可愛らしい高く透き通った声、役者の熱演、
舞台にダンダンと響く激しい足音、独特の匂い、音楽、照明、全てが自分の周りで現実になる。
その現実は最初に感じた恐怖ではなく、秘密結社の少年達をどこからか覗き見をしている様な
ワクワクドキドキした恋に似た心地の良い興奮だ。
これを観た少年少女達はもうここから抜けられない。
脳髄までグランギニョルの色に染まり、永遠にこのままでいたいと思う。

•もう東京グランギニョル以外、何を観ても面白くなくなった。

•他の演劇はただの演劇でしかなく、退屈な物になってしまった。

•これ以上の演劇はもう二度と無いだろうと断言する。

この後、東京グランギニョル・ライチ光クラブは3月に、都立家政スーパーロフトKINDOにて
再演をする事が決まり、再び3回観劇することが出来た。
毎回最前列で、血のりを浴びて恍惚していた。
その時のゼラが呼ばした血のりがハンカチに点々と付き、それは今も宝物として手元に残っている。

また嶋田久作さんや、越美晴さん、常川博行さんにもお会いできた。
飴屋法水さんには花束を渡し、握手をしてもらった。
飴屋さんの手は冷たく、か細かったのを覚えている。

Keiko・Olds



………………………………………………………………………………………………………

やはり過去にライチ光クラブを観劇した事のある庄司トオル氏が、先日行われた東京グランギニョルの
常川博之氏が主宰する"ライチ闇クラブ"についてコメントされたので、彼に了解を得て記載する。

東京グランギニョル版「ライチ•光クラブ」の音源を聞く機会に恵まれた。僕はリアルで再演を観ているから丸30年ぶり。他の芝居はほとんど忘れてしまっているというのに、なぜかこの作品だけはハッキリと隅々まで覚えており、記憶違いも多々あったが、ほぼ正確に記憶していたことを再認識した。

忘れないうちにいくつかメモしておきたい。
まず冒頭のSPKの音楽に乗ってサーチライトのダンスの途中、下手側にあったベルトコンベアがガーッと動き出して、クラブを盗み見していた生徒(再演は浜里さん、再演は今泉さん)が逆さになって引きずり出され、そこでチェーンでつり上げられるシーン。
SPKからこのシーンに何の曲がどのように切り替わったのか覚えていなかったが、今日の本源では、ほぼカットアウト&インで細野晴臣氏のTREMNLINGに切り替わって、再びSPKの流れが確認できた。SPKは一回だけだと思ったが、他に2回ほどかかっていた。こんなにかかっていたのか。

ラストの方でかかっていたように記憶していたカリヨンの鐘は、ラストではなく、女教師の初登場シーンでかかった。
その後ですぐに丸尾末広氏扮するマルキ • ド • マルオが登場するが、再演ではこのシーンはばっさりカット。今回初めてこのシーンを聴く事ができた。確かに居てもいなくてもいいシーン。

「ライチ•光クラブ」屈指のカッコいいシーン、潜望鏡の音楽は23SKIDOOのクンダリーニだったが、僕の記憶ではMinistryのcold life https://www.youtube.com/watch?v=VfwwVRnlpzQ  だったのだが、これはかからなかった。というか、潜望鏡は2回あったと思われるが?注*

それと、確かにあったのに音源で確認できなかったのは、飴屋=ジャイボの変な嗤い声。すっごく気持ち悪く、まるでスネ夫のように速いテンポで嗤っていたのに、その声がまったく入っていなかったのはなぜか。演技が初演と再演では若干違ったのか? それとも音源は少しカットされていた可能性も?

後半は、やたらと坂本龍一氏のエスペラントのB面後半の曲がかかっていたのは驚いた。Codaの中のJapanがかかったのはよく覚えているのだが、こんなにこのアルバムから選曲されていたとは思わなかった。
それにしても飴屋さん、ワルプルギスの冒頭といい、本当に鳥の声が好きなんだなあ。注**

完全に記憶違いをしていたのが、後半の飴屋=ジャイボが潜望鏡で星を眺めるシーンの相手方。記憶ではゼラだったが、ここは田宮が正解で、ライチ畑を焼き払うようにそそのかすくだりのシーンだったことが判明した。でもラストのライチ暴走はこんなに静かだったかな。OTTがかかってたと思うが。

飴屋さんジャイボが「やあサイキックTVちゃん!」といってテレビとファックする時の音楽は、どうもTEST DEPTのようだ。 http://www.youtube.com/watch?v=co68-gGSnQA&sns=tw via youtube (ちなみにサイキックTVをご存知ない方は、こんなバンド→)https://www.youtube.com/watch?v=fKBuKcDPjzM&index=5&list=RDxokJyITQlrI

僕が再演を観た都立家政のロフトは元倉庫で、ライチのほんの少し前にハナタラシ時代のアイちゃんに派手にぶっ壊されて直したばかり。さすがにギニョルはここまで過激じゃないけど、パラータを出禁になった彼らにはぴったりだった。(音量注意)https://www.youtube.com/watch?v=T3kworqbeqw

庄司トオル (東京都港区) Twitter @ToruShoji 
大阪芸術大学映像学科卒。在学中にパスピエ結成。大阪、京都で4本の演劇作品を発表。(2本は笹千丸名義)。東京の広告代理店にてコピーライター、プランナー、クリエイティブ・ディレクター、企画開発室室長を経て、2013年、サーヴィス アンド コネクションズ結成。2015年、Betsujin プロジェクトを準備中。

私の記憶違いでなければ、下北沢東演パラータで行われた初演のライチ光クラブでは冒頭の音楽が 東京グランギニョルのために鳥羽テック(TOBA TECH)が作った『M541』であったと思う。そして天井に取り付けられた長いメタルの筒で出来た潜望鏡は、計4本のありそれが客席の方へ弧を描きながら下がって来るので圧倒される。
**飴屋法水氏は、過去に"動物堂"というペットショップを経営しており、動物も飛びウサギやアルマジロなど珍しい生き物ばかりを扱っていた。飴屋法水氏本人も動物が大好きで、自分の飼っていた梟を自由を与えようと山に引っ越し共存を試みるが梟は鷹に食べられてしまい自らの決断に疑問を感じてしまう。

Keiko Olds


  

東演パラータ 下北沢 
料金 :  1,600円 (全席自由)
客席70席

1959年に俳優の相沢治夫と演出家の八田元夫と下村正夫を中心に前身である「東京演劇ゼミナール」を結成。

第1回の上演作品はチェーホフの「できそこない」だった。 1962年に現在の「劇団東演」に変更し、八田と下村が

交互に演出した。八田と下村が亡くなった後、1978年に下北沢を本拠地に移し、小劇場「東演パラータ」を開場した。

そこで精力的に上演活動を続け、東演パラータは演劇の街下北沢を牽引した。

1982年には劇場及び稽古場を大改造し、あわせて他創造集団にも開放した。

工夫された劇場として(舞台天井高さが18間)人気が高まり、多くの集団が利用するようになり、特に利用しやすい

価格から若者達や新設劇団などから支持を得てきた。

設立の理念を生かした劇場運営をおこない、演劇を中心とした舞台芸術の創造の場となっている。


AiiA 2.5 Theater Tokyo 渋谷  (アイア2.5シアタートーキョー)

料金: 7,800円(全席指定・税込)

客席824席

東京都渋谷区神南にある劇場である。座席数824席。旧・渋谷マッスルシアター。

2015年3月21日より約1年間、一般社団法人日本2.5次元ミュージカル協会により2.5次元ミュージカル専用劇場

AiiA 2.5 Theater Tokyoとして運用されている


           東京グランギニョル・ライチ光クラブのチラシと、残酷歌劇ライチ☆光クラブのチラシ



 常川博行  残酷歌劇ライチ☆光クラブ観劇レポート 

2015年12月18日、残酷歌劇ライチ☆光クラブ観劇終了!
はい!楽しいダンスショーでした!

可愛い綺麗な少年たちが、楽しく踊るボーイズラブな世界!
アイドル系というより、東京ゲゲゲイのダンスショー、あるいはおしゃれなスチームパンクっぽい
ミュージックビデオみたいな感じですかね。

ただ、硬質な鉄の冷たさを持つ東京グランギニョルのライチ光クラブではない別物でした。
僕は、鋼鉄の独裁者に憧れる少年ゼラを描く鏨汽鏡の世界が好きだけど、隣の席の女の子が
「凄い!カッコイイ!こんなの初めて観た!」と興奮していた。

僕は、後方の席だったので、全体は観られたのですが、血糊被りの席でも観たかったですね。
間近で観ると印象が、違うかも。

丸尾丸一郎さんの脚本は、ヘリオガバルス皇帝寄りのガラス細工のような脆いゼラだった。
残酷歌劇ライチの脚本の丸尾さんは、やはり関西の方だから和事の世界観。

ゼラも、浪速のつっころばし感あり、最後の本水使った、タミヤとゼラの立ち回りなど「女殺し油の地獄」
のようだった。 全体に綺麗な様式美でまとまっていて、これはこれで、「あり」だと思う。

翻って東京GGの作家鏨汽鏡は、お江戸の元旗本の家のお嬢育ちで、荒事好き。
だから、ライチ光クラブは、問答無用の残酷さと暴力沙汰のオンパレード。

例えば、僕はゼラを演じたとき、「時計仕掛けのオレンジ」のマックスをイメージしていたけど、中村君は、
やはりヘリオガバルスをイメージしたのだろうか。脆弱なデカダン皇帝をイメージしたのだろうか。

鹿殺しの河原さんは、巧みな演出家だった。
少年達の心の機微を細やかに仕草の中に入れつつ、大きなところで、大胆な仕掛けを施していたけど、
よくわからないのが、3人の魔女とも亡霊ともつかぬダンサーの存在。

あと、突然、ポールダンサーが、踊るのも。少し疑問。
彼(彼女?)のストーリー中の一貫した行動は、納得いく。
しかも本職ダンサーさんなのかな?
かっこよかった。

雷蔵とジャイボのキャラが、被りすぎて時々、どっちがどっちかわからなくなった。
僕が年取りすぎて呆けたのかな?

ジャイボって、媚び売らないで、何を考えているかわからない存在でいてほしいな。

タミヤは、中屋敷さんの劇団の俳優さんかな。
硬派タミヤのイメージを作っていて好感持てたけど、芝居が一番後ろの客席からだと細かすぎて見えない。
もっと大胆に大きく動いたら、もっとカッコイイと思います。


東京グランギニョル"ライチ光クラブ"ZERA 常川博行より



ライチ光クラブになぜ "ライチ" を使ったのか。

ある雑誌の記事にこう書いてあった。
そこの記者と飴屋法水氏が中国料理を食べに行った時、デザートにライチが出たのだそうだ。
そのライチを飴屋氏がジッと見ていたようで、きっとそこからアイディアが浮かんだものらしい。
飴屋法水氏はきっとそのアイディアを鏨汽鏡さんに話したに違いない。



そして「私は慎吾」と言う楳図かずおの漫画からもヒントを受けているらしく、
漫画にもマリンと言う少女が登場しているという。
舞台に置かれたガラクタやテレビなどは、明らかにアーティスト三上晴子の影響がうかがわれた。

グランギニョルの舞台は、ひとコマひとコマが丸尾末広氏のイラストの様だ。
俳優も、舞台美術も丸尾末広氏の描く、線の細い丸ペンで描いた絵の様だった。
それは決して漫画やアニメの線ではない。
銅版画の様な繊細なアートを描いたのがグランギニョルだ。
どこを切り取って見ても、完璧な美しいアートなのである。

東京グランギニョルの役者達は、全く客を意識していない。
彼等は、彼等が面白いと思うまま、彼等の場所で、彼等の世界で演じていた。
だから彼らの目には観客は写っていない。

練習を重ね、自分の役を全て自分の中に取り込み、台本のセリフは彼等の本当の言葉として発せられる。
客席の反応を見ることもしない、気にすることもしない、媚びることもない、客席に気を使うこともしない。
またウケを狙ったり、客に話しかけたりもしない。
舞台は別の空間で、彼等には客席など見えないのだ。
だからそれは全てが現実で、客はその迫力に圧倒されてしまう。


アメリカに住んでるから、行って観ることが出来ないので、
数日前、AiiA Theater 2.5 残酷歌劇ライチ☆光クラブの短い映像を観ることにした。
常川さんの言うように、なるほど、グランギニョルとは全く違う100%別物であった。
とてもエキサイティングな素敵なショーだと思う。
グランギニョルが薄暗いアングラ劇ならば、こちらは華やかなブロードウェイミュージカルだ。
これらは客席を意識して作られた演劇で、役者さん達は客席の反応を気にしながら演技をしている。
ウケを狙ったり、客席への目線やサービスのある娯楽。客達はアイドルを見る目線で観劇している。
演出も楽しい。オリジナルや漫画にもないシーンもたくさん含まれている様で、中身の濃い演劇になった様だ。

兎丸さんの漫画は好きだ。なぜなら彼の漫画には、グランギニョルの匂いがする。
でもその漫画を映画や舞台にしたものは、今は観る気にはなれない。
ずっとグランギニョルのライチ光クラブだけを心の中に置いておきたい。
新しい物を見たからといってそれが失われるとは思えないが。
Keiko・Olds

*ここに載せられた残酷歌劇の写真は、Google Imageからピックアップしたものです。
*東京グランギニョルの写真は、私個人の所有物または元ゼラこと常川博行さんから頂きました。
*常川博行さんのコメント、本人から掲載の了解を受けています。
        下北沢  東演パラータ                  渋谷  AiiA 2.5 Theater Tokyo
   


                                                                                    タミヤとゼラのチェスシーン

                                                                    夜の東演パラータとAiiA 2.5 Theater Tokyo
 


                                                                          ライチ登場 !


                                    東演パラータの看板と AiiA Theater のサイン
 


        マリン(カノン)と  ゼラの対面シーン            ↓こちらは映画のシーンです。


                                     東演パラータの舞台と AiiA Theater のステージ
 


                                                            マリン (カノン)とライチのロマンティックシーン


                         東演劇パラータの客席(70席)と AiiA Theater  の客席(824席)


                                                          ★ゼラと光クラブ★

    常川博行          ゼラ         中村倫也                        飴屋法水            ジャイボ      吉川純広
 


        石川成俊             ニコ           尾上寛之                   マリン 越 美晴             カノン  七木奏音
 

                嶋田久作       ライチ   皇希                              佐野領域     デンタク      BOW
 

                  大橋二郎        ヤコブ      加藤諒                                           萩尾なおみ  女教師                   KUMI

               矢車剣之介         雷蔵        池岡亮介                                   上野仁             カネダ          赤澤 燈

                     奥村浩                  ダフ        味方良介                               武井龍秀       タミヤ      玉置玲央


              中年男 丸尾末広                         ハマザト  浜里堅太郎
 



                                                      東演パラータとAiil Theater Tokyoの座席表平面図


                                        究極の 美少年、当時の飴屋法水氏

                     妖艶な飴屋法水氏                                                     素敵な当時の嶋田久作氏

                                                                              美しい青年、常川博行氏

 

                   当時の可愛い越 美晴さん                             現在の越 美晴さん、ニューアルバム  

デンタクが ライチにデータをインプットしているシーン                   再演の案内状のハガキ
                 

                                                                


                                         Thank You!!