この記事は、東京グランギニョル研究室 note分室に載せられていたのをお借りしました。
“音で芝居をつくる”-東京グランギニョルの作劇法-
※タイトルは、夜想28「特集 ロマンのゆくえ」
(1991年、ペヨトル工房)に掲載された飴屋法水インタビュー
「崩壊する新演劇」の冒頭に掲げられたものです
飴屋法水の演劇作品、とくに東京グランギニョル時代の舞台を、「音響」に焦点をあてて検証してみる必要があるのではないか。いつの頃からか、そう考えるようになった。
私がそのような考えを抱くに至った理由は二つある。
一つはグランギニョルやその後の飴屋の演劇活動にまつわる資料を収集する過程で、飴屋自身の発言や、当時の舞台を観劇した人々の証言の中に、「音」にまつわる言及が頻出するのに気付いたこと。そして、もう一つは飴屋が80年代に手がけた舞台の模様を録音した音源を聴く機会に恵まれたことである。
なかでも「ライチ・光クラブ」初演の模様を録音した音源を聴いたことは、私が東京グランギニョルの舞台における音響の重要性を認識する大きなきっかけとなった。
1985年に下北沢・東演パラータで初演された「ライチ・光クラブ」は、東京グランギニョルが「マーキュロ」「ガラチア 帝都物語」に続いて上演した作品であり、この劇団の評価を決定づけたともいえる舞台である。
本作の初演の模様を録音した音源を初めて聴いたとき、私は座付作家・K・TAGANEの手になる美しい台詞の数々に魅了されると同時に、台詞の背後から聞こえてくる「音」に興味をかき立てられた。
観客の耳をつんざくような大音量で鳴らされるテクノ・ポップやインダストリアル・ミュージック。それらの音に負けじとばかりに声を張り上げる役者たち。お世辞にも芝居がうまいとは言えない彼らが、各々に割り振られた台詞をがなり立てるように発するさまは、モニタースピーカーのないステージで、ドラムやベースやギターの音に自らの声をかき消されまいと絶叫する、パンク・バンドのボーカルの姿を私に連想させた。
そこではもはや、音楽は通常の演劇において劇伴が担っている役割を大きく逸脱し、まるで自らの存在を誇示しようとしているかのようでさえあった。
芝居の随所に挿入される、坂本龍一や細野晴臣、立花ハジメ、あるいはSPKや23skidoo、DAFといったアーティストの楽曲は、いわば演劇における「音響言語」として舞台を進行させる大きな役割を担っており、その意味合いにおいては劇中で役者が発する台詞と全く等価であるように私には感じられた。
2005年に漫画家・古屋兎丸が発表した『ライチ☆クラブ』をきっかけとして、東京グランギニョルは、劇団が活動していた80年代半ばには恐らく生まれてさえいなかったであろう若い世代からも注目を浴びるようになった。
今では観ることのかなわない「ライチ・光クラブ」に対する憧れを熱く語り、ギニョルの舞台を実際に観劇する機会に恵まれた幸運な大人たちに羨望の眼差しを向ける少年少女。
しかしながら、彼らの興味の矛先は、現存する舞台写真から窺える役者たちの耽美的なビジュアルや、あるいは大量の血糊を用いたグロテスクな演出などといった、ギニョルの舞台を構成する諸要素のうちの視覚的側面にばかり向けられている気がしてならない。批判を恐れずに言ってしまえば、東京グランギニョルに対して若者たちが抱く関心は、結局のところ、そのほとんどが表層的なものにとどまっているのだ。
確かに東京グランギニョルの作品が持つそれらの要素は、80年代当時の観客にとってもまた、大きな魅力であっただろうことは想像に難くない。しかしながら、耽美的な世界観を持つ舞台を上演する劇団やユニットは、東京グランギニョル以外にも存在するし、血糊や豚の内臓を用いたショッキングな演出にしても、決してギニョルの専売特許ではない(そのような演出を行う劇団は、かつてギニョル以外にも存在していたし、また現在でもそうした演出を売りにする劇団が存在する)。にもかかわらず、それらの劇団やユニットの舞台が、作品の質においてギニョルに遠く及ばないのは何故か。様々な理由が挙げられようが、私はギニョルの主催者であり、演出に加えて音響も担当していた飴屋法水が持っていた、「音」に対する卓越したセンスが、他の劇団やユニットの演出家には欠落していた(あるいは欠落している)からだと考える。
飴屋法水が、演劇人としての自身のキャリアを、唐十郎率いる劇団「状況劇場」の音響担当からスタートさせたことはつとに知られているが、当時の飴屋について、唐十郎は次のように語っている。
〜飴屋は演出家が見つけられない音ををどっかから持ってくる名手〜
彼は状況劇場の頃、事実上、僕の演出助手だったんです。もちろん彼の担当は音響でしたけど、しかし音というのは、僕の芝居にとっては大変重要なことで、まさに演出助手といってもいい。いつも稽古しながら、次の場面に入ろうっていう時、音が見つからない、と、もうモンドリうつんですよね、演出家って。飴屋はそれを察知して「その音」をどっかから持ってくる名手でしたね。それがしっくり行かないと、稽古が終わった後、夜中までLP盤全部引っ張りだしてずーっと調べてましたからね。
このインタビューが興味深いのは、上に引用した発言のすぐ後で、「音」に対する志向を巡って自身と飴屋との間に相違があったことを唐が匂わせている点である。
音の注文は単純なんですよ。静と動があったり、卑俗と俗っぽい音が突然重なるとか、僕のはそういうイメージだけなんですが、ところが飴屋の選曲は、静と静が戦うってことを果てしなくやるようなところがありましたね。ええ、それは僕との違いじゃないですか。もしかしたら、彼が抜いて選んだものを、僕がいとも簡単に切っちゃったってこともね、あったかもしれません。
「唐十郎 インタビュー」
(『ナンバーワン・ブック・オブ・ダッチライフ vol.3』1993年)
実は、この「音」に対する志向の違いこそが、飴屋に状況劇場を退団する決意をさせたとも言えるのである。後年、唐のもとを離れ自身の劇団「東京グランギニョル」を旗揚げした前後の時期を振り返り、飴屋は次のように述べている。
始まりは「使いたい音を好きに使える自分の演劇を」
僕の使いたい音が、なかなか受け入れてもらえなくて……。でまあ、とにかく自分で好きな様に音を構成した演劇が造りたくなった。その方が良いものができると、ゴウマンにも思った。それがまあ、出発点ですね。
飴屋法水「崩壊する新演劇」(夜想28「特集 ロマンのゆくえ」1991年、ペヨトル工房)
「1回。とにかく1回はやってみたかった。全部自分の好きな音だけで構成した舞台をね。」
『2マイナス1号/特集 飴屋法水—ボディ感覚』(2001年、ステュディオパラボリカ)
全部自分の好きな音だけで構成した舞台
五年間在籍した状況劇場を離れ、自ら劇団を立ち上げてまで飴屋が実現させようとしたもの、それは「全部自分の好きな音だけで構成した舞台」であった。何よりもまずそのことを我々は認識しなければならないのである。
現存する音源を聴くとわかるように、東京グランギニョルの舞台においては、通常の演劇にみられるような台詞と音響の主従関係は成立していない。台詞は時に本来自らが担うべき役割—登場人物の心情を観客に伝達したり、彼らがおかれている状況を説明したりする—を放棄して、単なる物音(ノイズ)と化している瞬間さえある。
東京グランギニョルの舞台における、この特異な音響のあり方と、それが舞台にもたらす効果について、実に的確な表現を用いて指摘したのが演劇批評家の長谷部浩である。
長谷部は、東京グランギニョル最後の公演となった「ワルプルギス」の劇評の中で、次のように述べる。
東京グランギニョルの場合、音は劇を盛り上げたり、観客の情緒的な衝動を突き動かしたりするようには機能していない。むしろ音はそれだけで独立したドラマを持っているのであり、目の前にある舞台は、その説明なのではないかという逆説さえ浮んでくる。そう、ウォークマンをしたまま街へ出ると、急に街が映像作品として私たちに知覚されることと似ている。
あるいは、飴屋法水は音響を舞台に奉仕させることを止めてしまった演出家だ。それだけに台詞が否応もなく帯びてしまう言葉の意味性を、極端に嫌っているようにも思えるのだ。テーマを想像させる観念的な台詞に重きを置いてなどいない。むしろ、聴覚がダイレクトに観客を刺激する、その刺激のレベルメーターを見つめながら劇を構成していく。
(*6)長谷部浩「工場見学に行こう! 東京グランギニョル『ワルプルギス』●飴屋法水・演出」(『4秒の革命 東京の演劇 1982-1992』 1993年、河出書房新社)
あらゆる音は空気の振動を介して我々に伝えられる。ならば、スピーカーで鳴らされる音楽も、役者の喉から絞り出される台詞も、つまるところ、物理的には同じ意味しか持たないのではないか—。思わずそんなことを考えてしまうほど、東京グランギニョルの作品において台詞と音響が担う役割は、その重要性において等価である。いや、この表現はやや正確さに欠けるきらいがある。むしろ台詞を音響に従属させようとするのが、東京グランギニョルの舞台の特色であると言ったほうが良いかも知れない。
あるいは、より正確さを期するために、こう言い換えてもよいだろう。すなわち、東京グランギニョルの舞台において飴屋法水は台詞や筋を音響に奉仕させようとしていた、と。
使いたい音や楽曲がまず先にあり、そこから喚起されるイメージに基づいて個々のシーンが生み出されている。あるいは選択した音や楽曲を最も効果的に鳴らすことを可能にするシチュエーションを生み出すための方便として、それらの場面は存在している。そのような印象を抱いてしまうほど、ドラマはいずれの場面においても背後で鳴らされる楽曲と密接な結びつきを保ちながら展開していく。
そして劇全体を貫く筋は、あくまで各シーンを便宜的に結び付ける役割を担うために設定されたものであって、物語の整合性は顧慮されていない。したがって戯曲についても文学としての完成度はそれほど重視されておらず、そこに高尚なテーマを持たせようとする意図もなければ、登場人物の性格や心情を、台詞によって丹念に描写しようとする姿勢も見られない。
残された資料を通して浮かび上がってくる東京グランギニョルの舞台からは、(作品ごとに程度の差はあれ)一貫してこのような傾向が見出されるように思われる。そして、こうした傾向は、「マーキュロ」、「ガラチア 帝都物語」、そして「ライチ・光クラブ」と作品を追うごとに加速していき、「ワルプルギス」において、ついに飽和点に達したのではないか。私にはそんな気がしてならない。
音から芝居を作り上げること。それが東京グランギニョルにおいて飴屋法水が採ったアプローチであり、ギニョルの舞台が当時の観客を熱狂させ、今なお伝説的な存在として語り継がれるに至った理由を解明するためには、この特異な作劇法の分析こそが、何をおいても求められるのだ。
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